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紅型は15世紀頃、海外交易で栄える琉球王朝のもとで生まれ、王族に愛用されて栄えました。
身分の高い者だけに着用を許された紅型は、一般人には禁断の布で、憧れの的でした。
南の島で生まれた染は、「紅、黄、紫、藍、緑」の華やかな色彩が冴えています。
王政が廃止されてから衰え、第二次世界大戦で途絶えましたが、戦後、玉那覇氏の義父、
城間栄喜氏によって復興されました。
 紅型で描かれる文様は、沖縄の草花や生活用具ではなく、
日本の本土の植物「松竹梅や雪輪」が多く見られます。
紅型の優れた作家たちは、本土(大和)の人々の好みにあう意匠を用いて図案を作り、
友禅や中国、インドなどの染色の影響を受けながら独自の世界を作りだしていたのです。
紅型の「紅」は一つの特定された色の表現ではなく、色そのものを意味しています。
 紅型の命は何よりも型紙の精緻さにあると言われ、図案を型紙に描いた後は、
細い小刀の先で前方へ向けて突き彫りする方法で型が切り取られます。
鋭利な小刀を使って指先に込める力と集中力で作り上げます。
ここで必要になるのが型彫の台になる「るくじゅう」です。
これは沖縄の豆腐を長期間陰干しして作ります。
他の素材では得られない柔軟性のお陰で、刃の傷跡が残らないのが特徴です。
 道具は自分で作ること、伝えられた型紙に頼るのではなく、
そこに創意を加え独自の図案を考えて、型紙を新しく彫ります。
大豆を水に浸し、すり鉢で丁寧に摺って作る豆汁も、糊の成分の割合と、
一度火を通したものを糊状にする度合いも、すべては経験と独自の勘で習得します。
糊に含ませる塩の分量も天候に左右されるので、計算や理屈では割り出せないのです。
 型紙彫り、型置き、色挿し、隈どり。
この隈どりが、全体に深い奥行きと立体感を作り出します。
どの工程でも一か所失敗すれば、すべての努力が敗れ去る厳しい世界が紅型作りです。

これらのすべての工程に精通し極めたのが玉那覇有公氏です。
型染めをする工芸会の作家さん達でさえ、2週間ほど「研修」と言う形で
玉那覇氏の工房へ勉強に来るほどです。

60歳にして人間国宝と認められた素晴らしい技術の小紋です。

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